森ウィーク(2003年8月(8/22-9/3) 森ウィーク)論評
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審査委員長の挨拶及び泰平賞の発表 投稿者:審査委員長 投稿日:9月 3日(水)14時31分45秒
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≫森ウィーク(2003年8/22-9/3)泰平賞発表≪
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挨拶:旬のおしゃれスポット、そして日本の美術の中心地になるであろう森アーツセンター(六本木ヒルズ森タワー)に「天下泰平プロジェクト」進出!!そんな夢みたいな出来事が実際に起きてしまいました!!!
六本木ヒルズのエスカレーターをあがるとでっかいオーロラヴィジョン(?)で今回のグループ展のCMが流れてて、そこら中に案内看板を持ったスタッフがいて、会場には各界の著名人&プレスがワンサカいて、客が一日2000人も来て…、なんだか今まで地味ィ〜にローカルゥ〜に活動してきたので、こんなスゴイとこに来てしまっては「天下泰平プロジェクト」が心臓マヒを起こしてしまうのではないか!と思ってしまうくらい、それはそれはすごい場所&経験&10日間でした。日頃から世界制覇可能なプロジェクトだと信じていたものの、いざこんなデカイとこでやるとなるとビビってしまうもんですな−。
さてさて今回の「森ウィーク」はグループ展「ARTISTS BY ARTISTS」の為に用意された特別イベントであったため12日間のみの募集でしたが、なんと144もの句が集まりました!!!さらにさらに超大物アーティストの宮島達男さん&日比野克彦さんも参加してくださいました!!うきょー!!皆様本当にどうもありがとうございました。おかげでめちゃめちゃ盛り上がりましたよ!!!!…それでは早速、泰平賞を発表したいと思います。
<泰平賞> わたしまけましたわ (by: 直子, No.598)
【最終候補】
日本の海ではない、なぜわかるのだろう。恋しくなる。汗がまとわりつく気候が家とは違う。匂い、味わう。まだ自分のアイデンティティーを作れないでいる異国での一秒。(by: シス, No.597)
【最終候補】
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→↓←↑→↓←1→↓←↑→↓←↑→↓←↑→↓←↑→↓←↑→0←↑→↓←↑
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(by: Putta, No.580)
【最終候補】
きゅー、はち、なな、ろく、ごー、よん、さん、にー、いち、・・・・・・・、きゅーーー、はーち、ななー、ろーく、ごーー、よーん、さーん、にーーい、いーち、・・、きゅ、はっち、なっな、ろっく、ごっ、よっ、さんっ、にっ、いちっ・・・・・・・・・・・・・・・・・ (by:tatsuo miyajima, No.567)
【最終候補】
…パソコンというインフラが整ってない人でもどんどん「天下泰平プロジェクト」に取り込んでいっちゃうような努力を施井がしなくちゃ。例えばパソコンのとなりに立って、お客さんが来たら、紙にネオ自由律を書いてもらうとか。「参加したくねー」とか書かれてもそれを施井が勝手に投稿しちゃえばいいんだよ。それとか例えば話の内容を録音してそれを後で文字に起こして投稿するとかね。この会話とかも「日比野克彦談」とか書いて投稿しちゃいなよ。そうやってどんどん「天下泰平」の場を施井が作っていかなくちゃ…。(日比野克彦談) (by:日比野克彦(編集:泰平, No.599)
【最終候補】 ごねるとなせばなる。 (by:よしこ, No.579)
【最終候補】 朝と同じ格好?(by:日比野克彦, No.610)
【最終候補】 あああああ あああああああ あああああ (by:プランク・ドラゴン, No.505)
【最終候補】
田田田田田田田田田田
田田田田田田田田田田
田田田田田田田田田田
田田田田田田田田田田
田田田田田田田田田田
田田田田田田田田田田
田田田田田田田田田田
田田田田田田田田田田
田田田田田田田田田田
田田田田田田田田田田
(by:TADA, No.510)
【最終候補】 しのび寄る獣の足音 (by:ひさよ, No.507)
【最終候補】
ネオ自由律 投稿者:おるぽ 投稿日:9月30日(土)18時14分00秒 (by:pn, No.586)
【最終候補】 編集済 (by:オルポゴ, No.542)
【最終候補】
こここここむむむむららららあががががえがああえりあががががががががががががががが (by:eizo, No.602)
《奨励賞》
スペースの関係で番号と作者名のみの発表とさせて頂きます。
No.519(by:ひろし), No.521(by:ダック), No.527/528(by:あそこの山),
No.533(by:せんとりす), No.535(by:せんとりす), No.546(by:のえら),
No.559(by:ワックス), No.562(by:なお。), No.563(by:LuckyStarNewton),
No.564(by:せんとりす), No.571(by:スマート), No.587(by:みうらりか),
No.588(by:たいちゃん), No.591(by:まるがり), No.592(by:のえら),
No.609(by:星), No.611(by:日比野克彦)No.622(by:Yuna) .(順不同)
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<評>
> わたしまけましたわ (by: 直子, No.598)
■ 回文*という名の自立
「ネオ自由律」は、いうならば「俳句 meets アート」な概念である。アート至上主義的解釈をすると、俳句はアートでいうところの(日本人の大好きな)「印象派」に近い状態で留まっているように思え、現在のアートから100年近く遅れているように写る。いや、日本の伝統文化はそのすべてが、ある時から現代生活から隔離され、延命装置をつけられた植物人間のような「不自然」な状態で生き続けているように思えてならない。こんな状態でいいのだろうか?いいえ、よくありません。…というわけで俳句にアートのエネルギーを注ぎ込み、再生しようというのが「天下泰平プロジェクト」なのです。笑。さて、俳句が「印象派」から脱却するにはどうすべきなのか。>>はい、それは簡単です。「自立」すればいいのです。
ここでアート界の「自立」の話を少々:
文化がキリスト教を中心に発達した西洋社会では、アートも、「建築」は教会建築、「音楽」は教会音楽、「文学」は聖書、「美術」はイコン画といったようにキリスト教を中心に存在していた。しかし、産業革命によりキリスト教の文化的求心力が弱まり、美術においては写真技術の出現も手伝ってアートの存在理由が希薄になっていった。そこで、アートはそれぞれの存在理由を明確にしようと頑張ったのである。美術(絵画)はその平面性と色彩性が存在理由であると考え、他のアートの領域にあるものを排除していき「自立」への道を歩んでいったのである(例えば、文学の「文字」とか建築、演劇の「空間」とかを絵画から排除していった)。印象派→キュビズム→抽象表現主義といったように20世紀の美術からどんどん具体的な像や空間が消えていったのはこういう理由からである。
俳句が印象派だというのは、多くの俳句が風景を、またはそれに準じた心象風景を描くにとどまっている(ようである)からである。俳句がそんな「印象派」な状態から脱却するには外部のモチーフを描き表現するのをやめ、言葉に内在する諸問題を描き「自立」していかないといけないのではないか。
そこで回文が登場する。回文は、描き出しはどうであれ、内在する諸要素と向き合って作られる、文字のデカルコマニー*ともいえるような自立した文なのである!そんな回文を折り込むと俳句は印象派から脱却できるのではないか!?
…というフカ〜イ理由で回文を泰平賞に選んでみた。この句は、意外なことにネオ自由律として投句された初めての完全な(漢字、記号、他文等の混ざり物なしの)回文であった。回文はネオ自由律における重要なスタイルのひとつになるものと信じている。ので、これからも積極的に回文を!
(厳密にいうと印象派は上述した印象派像とそのコンセプトにおいて多少異なります。また、俳句も、それ自体がコンセプチュアルな表現であり、回文が取り入れられることも珍しくはないが、「俳句 meets アート」をプレゼンするためにこのような表現になったことをご了承下さい。)
■ 「負けるが勝ち」のギミック
回文の魅力が充分に伝わったところで、次はこの句のもう一つの魅力を。今回の「森ウィーク」は、目玉のイヴェントとして「大物アーティストとアートゲームで対決!」をうたい文句にした、天下泰平プロジェクトの「アートゲーム」的側面を全面に出したものであった。そんな中で投句されたものであるため、この句は「アートゲーム」における勝負性自体をネオ自由律化した句と解釈できる。のに、その内容が「わたしまけましたわ 」だから笑える。「負けるが勝ち」を狙ったのであろうか。いや、「わたし」が負けたことを認めたのではなく、「わたしまけ」とその反対の感情を表わす「けましたわ」を結合し、それらの間で起きるジレンマを表現したもの、ともとれる。なんにせよ、回文という、外部のモチーフではなく文に内在する諸要素を中心に構成するスタイル、を使うことによって真意を紛らわすこのテクニックには正直びっくり。うん、これには、わたしもまけました(回文じゃね〜)
*回文:前後どちらからでも同じように読める文。
*デカルコマニー:絵の具をつけた紙を半分に折り、開き、左右対称の像を作る(小学校でよくやる)アレ。又、その技術。
> 日本の海ではない、なぜわかるのだろう…(by: シス, No.597)
「一秒かよ!!」
…これ以上書くことがないので、シス氏の今までの主要作品を紹介します:
▲ 給与明細勝手にアップされる。寂しい世の中になったのう。けれども税金のがくをみるたび悔しくなる。ケチは変わらない。(第4回/No.208/若葉賞)
▲ 若年性健忘性 (第5回/No.245/泰平賞最終候補)
▲ 最近毎日が楽しい、と思うのはつかの間、ってわかっては落ち込む、のはあまりに後ろ向きすぎだと反省しつつ、やっぱり人間強欲で、またもとに戻るため、日々がんばる。(第5回/No.272/奨励賞)
▲ 梅雨明けか、梅雨明けないかの瀬戸際で打ち上げる花火はまるで、天の川を渡り再会する姫達のよう。それに群がる人々は夏を知らせるせみのような風物詩。 (第6回/No.403/泰平賞最終候補)
▲ 日本の海ではない、なぜわかるのだろう。恋しくなる。汗がまとわりつく気候が家とは違う。匂い、味わう。まだ自分のアイデンティティーを作れないでいる異国での一秒。 (森ウィーク/No.597/泰平賞最終候補)
> →↓←↑→↓←↑→↓←↑→↓←↑→↓…(by: Putta, No.580)
矢印、アルファベット(単体)、数字。この句に使われている3種類の記号に共通するのは「実体がない」という点である。この記号は本来何かを示唆したり、導いたり、整理するために使われるので、他に目的、目標、実体がない限り存在価値のない、いわば「自立できない記号」なのである(厳密にはそうではないのかもしれないが、少なくともこの句においてはいえることである)。
そのため、この句を見るものはひたすら「実体」を求め、しかし一向にそれがつかめないでフラストレーションを感じるのである。
私の個人的意見かもしれないが「すばらしい」と称されるアートにはこのような特質があるように思えてならない。 絵画を見て「わからない」と言う人の感覚は間違っていないと思う。「実体」を求める人にとっては当然のことであろう。「何かがうまく表現されている」「何かを示唆している」を期待しても、そこには、往々にして「わかる」ような「実体」は用意されていないからである。つまりアートは「実体」を喚起するための触媒でしかないのである。いいかえると、アートは鑑賞者がアプローチし、ああだこうだ考える装置にすぎないのだ。
今までの泰平賞の選考はこのような解釈を基準にしていた部分が多い。ここに来て初めてこの解釈を言語化できたのは、この句が芸術の本質の部分をノックするようなものであったからであろう。というわけで、今回はこの句のよみとり作業ではなく、句が示唆する芸術観賞のシステムをデコードしてみた。それ自体がよみとり作業であるといわれればそうなんだけど…。
> きゅー、はち、なな、ろく、ごー…(by:tatsuo miyajima, No.567)
何かを数えているのであろうか。いや、数えているのに減っていくのはおかしい。すると何かのカウントダウンか。9からカウントダウンしていき、1の後しばらく経ち、また9からカウントダウンし始めている…。ゼロを回避しているのか。ゼロを回避するうちにだんだんウキウキになって、テンションは高くなって…。
最後の1のあとの・・・・を見る限り、この3つのカウントダウンはほんの一部にすぎないようだ。一人の人がカウントダウンしているのではなく、様々な個性がカウントダウンしては消えていっているのか。だとしたら1のあとには果たして何が起きているのであろう。(ゼロが起きているのか?)
様々な個性が織り成す、9から1のカウントダウンの繰り返し、これは何かのメタファーなのであろうか。
小さな数字が様々な速度で時を刻んでいる↓
画像:artscapeより(問題がある場合はお知らせ下さい)
…とシラをきるのはここまでにして、 ここで少し宮島氏の紹介:
>>…1980年代よりガジェット(LED/発光ダイオードのデジタルカウンター)を用いた作品で、世界的にも知られるようになりました。闇の中で無数に瞬くガジェットは、人間1人1人が持つ固有の時間のメタファーとして、異なるスピードで時を刻み続けます。永遠に続くこと、変化し続けること、あらゆるものと関係を結ぶこと、これら3つのコンセプトをもとにした活動を続けています…(CCA北九州のサイトより)。
…とあるように宮島氏はLED/数字/カウントダウンで世界的に知られるアーティストなのである。
ひたすらカウントダウンだけが繰り返されるこのシリーズに、見るものはギュウっとしめつけられるような虚無感を感じるであろう。それはこれが「儚い生命」の集合体である「自然」を数値化(可視化?記号化?)し表現したものだからでしょう。宮島氏の作品には「諸行無常の響きあり」です。是非一度本物を体験してみてください。そのあとでこのネオ自由律を見たら、また違った受けとめ方ができること間違いなしでっせ!
> …パソコンというインフラが…(by:日比野克彦(編集:泰平, No.599)
この句は内容の通り、日比野克彦氏との話の中で出たアイデアを私が編集し投句したものである。句をよむと、会話中のアイデアを私が勝手に投句したように見えるかもしれないが、実際は、話す中で日比野氏に妙案が浮かび、そのアイデアを投句するよう指示されたという方が近いかもしれない。ので、そのような観点でこの句を見ていただきたい。
「天下泰平プロジェクト」という「アートゲーム」にプロのアーティストが参加するというのは、まるで、F1レーサーがF1ゲームで素人と対決するようなリスクがあるものだと思う。それは、そのゲームに慣れ、文法を知っている素人の方が強いに決まっているのに、負けたら「こんなものか」と言われるようなリスクだ。その為、僕にとってはそのリスクに大物アーティストがどう対応するのかが一番の関心事であった。その中で出たこのアイデアだったので「やられた」というのが正直な感想である。F1の例を引っ張るなら「俺が指示するからお前が運転しろ」という感じだろうか(いや、F1の例えは悪すぎるか…)。普段からコンセプチュアル(概念的)な作品を作っている宮島氏とは違い、畑が違う感があった日比野氏は不利かと思いきや、このような超概念的対応をされ、泰平は見事に撃沈されたのである。
それにしてもアートゲームで本物のアーティストがしっかり強いというのはシステムがしっかりしている証拠ではないか。…と自画自賛もしてみたりもする。
> ごねるとなせばなる。 (by:よしこ, No.579)
なんと!前半が子供で後半が大人だ。こんなに短い句の中に人格が二つもアルではないか!俳句界のキュビズム*とでもよぼうか。いや、ポリリズム*俳句、のほうが良いかもしれない。なんにせよ、これは一つのモチーフを二つのスタンスから描き、結合するという革新的手法でつくられた句なのである。展開によっては大化けもあり得るような、大きなポテンシャルを感じてしまうのは私だけではないはずだ!次はどうなる?
*キュビズム:画面を解体し再構成する絵画技法。その流派。→ピカソ/ブラックなど
*ポリリズム:多律動。複数の対比性の強いリズムが同時に奏される現象。
> 朝と同じ格好?(by:日比野克彦, No.610)
この句は、その強さから、何度も「泰平賞」を争い、審査を難航させた。多くのネオ自由律には、面白いもの、個性的なもの、きれいなもの、笑えるもの、汚いもの、奇抜なもの、シュールなもの、知的なもの、感覚的なもの、深いもの、ぶっとんだもの…etc、と、何かしらの特性を持たせようとした痕跡が見えるものだ。しかしこの句にはそれが見られない。この句が最強に見えてしまうのは、マッチョの人の隣によぼよぼの老人が立っていたら、なぜかよぼよぼの老人の方が強そうに見えてしまう感じと似ているかもしれない。肩の力が完全に抜けているため、拳法の達人のようにスキがなく、見る者が考えれば考える程その強度を増し、それらの者を虜にしてしまうのではないか。この句だけではない。連続で投句された3句がすべてそうであるからたまらない。これが大物ア−ティストのネオ自由律か。やっぱりすげー。
> あああああ ああああ… (by:プランク・ドラゴン, No.505)
地球が生まれてから現在に至るまで、さらにこれから地球が死ぬまでの間に詠まれた/詠まれるであろうすべての俳句を「あいうえお順」に並べたとしたら、この句は何億、何兆もある句のなかで先頭に立つであろう。この5・7・5のシステムをバカにしたような句は、ただのパンクなネオ自由律ではない。地球史上No.1の冠をもつ句なのだ!うひょー
> 田田田田田田田田田…(by:TADA, No.510)
一見するとビルのようだ。今回展示させていただいた森タワーのイメージであろうか。…しかし窓のように見えるそれは良く見ると漢字の田である。「田」はおそらく上空から見た田んぼのイメージから出来た漢字であろう。その観点で見ると上空から見た田舎の一風景、とも捉えられる。ビル/田んぼ、なんというコントラストだ。
ところで田といえばマクドナルドを日本に普及させた藤田田(ふじたでん)を想起してしまうのは私だけであろうか。藤田田の親は敬けんなキリスト教徒であったらしく「口は災いのもと」だから「口」を十字架でふさいだように見えるという理由で「田」という名を与えたという。もし、この句の「田」もその意味で使われていたとしたらと考えると「言いたいことが沢山アル!でも封印されてる!」というようなストイック(?)な、鬱屈したエネルギーが積み重なった、曰く付きの建造物にも見えてくる。笑。
名前を見るとTADA(多田)。ただ者ではないな。
> しのび寄る獣の足音 (by:ひさよ, No.507)
前回泰平賞「さぁ 森へ狩りに行きましょう」の続編か?…どう見てもそうにしか見えない。しかも何故か「続編」という感じがすごく似合うではないか。「続・猿の惑星*」のような、ウケタから無理矢理続編みたいな。笑。
でもこの続編は、それを作ることで、前作の強度を増し、総体の解釈を変化させる効果を生んでいる。何はともあれ、過去の句を土台にして新作を作っていくこの姿勢はあっぱれ。獣を狩るために強く、大きくならなくちゃ!というエネルギーが伝わる。
*猿の惑星:1968年〜1973年に制作されたSF映画、「猿の惑星」「続・猿の惑星」「新・猿の惑星」「猿の惑星・征服」「最後の猿の惑星」と無理矢理続いたことでも有名。
> ネオ自由律 投稿者:おるぽ 投稿日:9月30日… (by:pn, No.586)
お!これは掲示板のデータ・バー(?)ではないか。良く見ると投稿日が実際の投稿日のちょうど一ケ月後になっている。これはインターネット回線を通る途中で異次元世界に入り込んでしまったネオ自由律君が放ち、時空間をサマヨイ流れついた遺品ではないか!?…果たして9月30日に何が起きたのであろう。遺品は何を訴えるぞ…。
掲示板では「送信」ボタンを押した瞬間に文章がどこかへ消えてしまうことがある。タイムトラベルもインターネットも「光」が関係するものだし、こんな現代版ネオ自由律的漂流教室*もあ・り・得・な・い・こ・と・も・な・い・の・か・も、とか想像させてくれる。ロマンチックで楽しい句だ。
*漂流教室:1972年〜1974年に週刊少年サンデーで発表された楳図かずおのマンガ。小学生が未来の世界へ学校ごとタイムスリップしてしまう話。
> 編集済 (by:オルポゴ, No.542)
実はこの句は実際に編集済なのである。編集前は「編集済」だったのが、編集され「編集済」になったのである(なんだかスーパーサイヤ人になったような感じ)。初稿から編集するまでの期間はたったの3分。それを目撃した私もすごいが、見られる可能性が低いそんなリスキーなパフォーマンスを用意するオルポゴはあっぱれ。笑。リンクが貼られている本物の「編集済」マークとは一線を画して(リンクを貼らず)表層の模写に徹している点もあっぱれ。
> こここここむむむむららららあがががが… (by:eizo, No.602)
この句はこむらがえりがおきた時の感情を表わした句なのであろうか。出発点はどうであれ、アイデアをしっかり「ドミノ式に解釈を生む装置(ネオ自由律)」へと昇華させているではないか。この句は日常のモチーフで「ネオ自由律」を作り上げる「お手軽調理例」のような句である。あら簡単!・美味しい!・かっこいい!
奨励賞の19句に、今回も一言づつ。
No.519(by:ひろし):スタイルは面白いが、内容と呼応してないのが難点。
No.521(by:ダック):アットホーム・ドット・コイ。うん、デジタルほのぼの。
No.527/528(by:あそこの山):奨励賞ピックアップ(下)
No.533(by:せんとりす):No.496と全く同じ。やられた。内容のチープさも手伝っている。
No.535(by:せんとりす):不可能性と矛盾と魅力に満ちた句。
No.546(by:のえら):全部回文!すげー!!でも…
No.559(by:ワックス):何かと思えば、しり取り!前後の句との依存関係を喚起して面白い。(557とつながるはずが)スリップ氏の句と同時に投句してしまい、後の人には無視され、、、と何もかも失敗しているのも笑える。
No.562(by:なお。):笑。これもベストセラーになるのか。
No.563(by:LuckyStarNewton):フカイことをカルガルと。読み方、区切り方によって解釈を変えられる面白さも。
No.564(by:せんとりす):相変わらずぶっとんでますね〜。ごめんなさい。出来ませんでした。ところで何が?何を?何で?挑戦者募集。
No.571(by:スマート):それほどでかくないのが笑える。なんだか「ヒニク」のカオリも。
No.587(by:みうらりか):このスタイル、良いのでは。(物心ともに)幅を広げる効果がある。
No.588(by:たいちゃん):是非(句に貼付られているリンクの)たいちゃんのサイトを見てこの句をおたのしみ下さい。たいちゃんと金魚のファンになりますよ。
No.591(by:まるがり):爆笑。この人、我が道を突き進んでいく強度あり。
No.592(by:のえら):解釈しようとするとアタマが痛くなる。
No.609(by:星):かなり好み。ある種のパンク。
No.611(by:日比野克彦):強烈。「何故?」を考え出すと日比野氏の術中に。
No.622(by:Yuna):なんだこの魅力は。次の句が見たい!
<奨励賞ピックアップ>
No.527/528(by:あそこの山)
ネオ自由律の将来を背負っていけそうな程強力なスタイルだが、今回の2句は余計な工夫で強度を弱めてしまっている感がある。HTMLタグのみで充分すぎるくらいの説得力があるのでそのスタイルを追求してほしい。翻訳ソフトで翻訳されたような文も魅力的だが、それは別の句で表現すべきかな?ちなみにこれらの句はブラウザを通すとこう見える( 527 / 528)。 仕掛けは見つかりましたか?
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総評:今回は12日という短い募集期間であったにもかかわらずネオ自由律公募史上最多の入選者が選出されました。それは勿論、内容の充実度と比例した結果ですので、論評を書くのは大変でしたが(笑)とても嬉しいことなのです。森ウィーク大成功!!といったところでしょうか!!…やはりこれは参加/応援してくださった大物アーティストの方々&「ARTISTS BY ARTISTS」を支えてくださったすべての人のおかげでしょう。ここでもう一度、どうもありがとうございました!!
無事大舞台を終え、ひとまわり大きくなった感のある天下泰平プロジェクトですが、これからもこの勢いでどんどん拡充していきたいと思っております。これからもご協力よろしくお願いします。
え〜っと、普通掲示板で皆様のご意見をお聞かせ下さい。「受賞者の/受賞者へのコメント」「不平不満」「ネオ自由律談義」「私の一句」など書き込めるスペースを用意します。ので是非ひとこと、ヨロ〜。
では9月期もがんばっていきまっしょい!
審査委員長:施井泰平
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