第6回ネオ自由律公募(2003年8月(8/1-8/20))論評
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審査委員長の挨拶及び泰平賞の発表 投稿者:審査委員長 投稿日: 8月18日(月)21時47分32秒
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≫第6回(2003年8月期)泰平賞発表《
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挨拶:8月期は22日から行われるグル−プ展「ARTISTS BY ARTISTS」用イベント「森ウィーク」開催のため、18日間のみの公募となりました。にもかかわらずなんと101もの句が集まりました!投句して下さった皆様どうもありがとうございました!
では、今回は受賞形式に変更がありませんので(笑)早速泰平賞の発表に移りたいと思います。
<泰平賞> さぁ 森へ狩りに行きましょう(by: ひさよ, No.475)
【最終候補】
.
只
&、 (by: Cryptony, No.388)
【最終候補】 コョロ!ヌョへータッユ (by: S湖, No.400)
【最終候補】 梅雨明けか、梅雨明けないかの瀬戸際で打ち上げる花火はまるで、天の川を渡り再会する姫達のよう。それに群がる人々は夏を知らせるせみのような風物詩。 (by: シス, No.403)
【最終候補】 sperm whale (by: orpg, No.376)
《奨励賞》
スペースの関係で番号のみの発表とさせて頂きます。
No.379, No.383, No.386, No.405, No.408,No.412, No.414, No.416,
No.417, No.419,No.429, No.452, No.454, No.466, No.471.
(順不同)
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<評>
泰平賞のひさよ氏の「さぁ 森へ狩りに行きましょう」はネオ自由律(天下泰平プロジェクト)の物質&精神の両観点においてこれからの方向性を提案する、提案自体をネオ自由律として投句した句である。また、その提案が、やや元気を失いかけている「ネオ自由律(天下泰平プロジェクト)」に大きな勇気とエネルギーを与えるだろうことを評価し、泰平賞に選んだ。それではこの句を物理的観点と精神的観点に分けて解体してみよう。
■ <物理的観点> 森に狩り?
「森」と「狩り」の組み合わせはやや不自然ではないか。常に完成度の高い句を詠むひさよ氏の句ということもあり、ひっかかった。何故「山」でも「ジャングル」でもなく「森」なのか。森?ん?もしや!!今週末におこるネオ自由律史上最大のムーブメントの中心地「森タワー、森アーツセンター」の「森」のことか!!(うさん臭くてすみません)
「さぁ 森へ狩りに行きましょう」。…そう見るとこの句には、かなりのサディスティックなメッセージが含まれているではないか。「さぁ 森へ冒険しに行きましょう」とか「さぁ 森へ宝探しに行きましょう」とか「仲間を見つけに行こう」ではなく「狩り」に行くのだから。参加者を集めたり才能を発掘したりするのではなく、狩って、食って、ネオ自由律の血とし肉としようとしている!って感じなのである。笑。(冷静に分析しても、ネオ自由律という概念を一つの大きな生命体として捉えるような感覚は、さすがわかってるなという感じ)
内輪から毛が生えたような状態で盛り上がって来たこのプロジェクトがいよいよ全国区(?)になろうとしているこの大事な時期に、縮こまりがちな空気を一掃してくれるような、かつてのレーガン大統領のような(?)力強い、カリスマ性をこの句に感じた。それは物理的/物質的観点では必ずしもないが…(「森〜」という場所、動き、ハード部を扱っているという観点では物理的だと思うが…ま、いいか)
■ <精神的観点> エスカレートするネオ自由律の脳化に対するメッセージか?
解剖学者の養老孟司氏によると、人間の造り出すもの(言語、行動から社会まで)はすべて脳内に本来ある過程が表出したものであるらしい。人間の本来の欲求は自然を理解し操ろうとする「脳化」の欲求であり、その欲求が満たされつつあるこの情報社会は、ほとんど脳そのものになったような社会らしい。
そんな「脳化社会」の問題点は、人間が社会を操れると勘違いしてしまうところにある。人間はあらゆる欲望を満たしてきたが、しかし一方で「死」という究極の自然現象の壁は取り払えていない。つまり「脳化社会」は人間の脳に内在する欲望を反影した、いわば「脳の答え」でしかなく「自然の答え」ではない、という重要事項を人間は意識せずに欲望のままに生きているのである。
残念ながらこの話はそのまま「ネオ自由律」にも当てはまる。それは「ネオ自由律」が情報社会、情報テクノロジーを前提とした俳句様式である時点で当たり前といえば当たり前なのだが、さらに、芸術におけるロジカルな部分に着目し、解体していこうとする論評の方向性にもそれ(脳化)をエスカレートさせている要因があるといえる。
「さぁ 森へ狩りに行きましょう」は「脳の答え」をひたすら求める脳化社会の、いや「ネオ自由律」のこの方向性に対し「脳内にいつまでも引きこもってないで、もうそろそろ自然と向き合いましょう!」「もっと自然の中にあるネオ自由律的要素を狩りにいきましょう」というメッセージをもインプリケートしているのではないか。(…だとしたら論評を書いている私をも突きさすような挑発的な句だ)
…と、以上の理由でこの句を、天下泰平プロジェクトの、物理的&精神的両状況に対する提案を1つの句に編み込むことに成功している秀作と評する。ネオ自由律をすばらしい未来へ導こうとするエネルギーを感じるという意味では、美術でいうところの、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」的ネオ自由律である?「民衆を導くネオ自由律の女神」。なんちって。
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最終候補>Cryptony氏の句を評する前に基礎知識を2つ。
《インスタレーション》
インスタレーションとは本来「絵画や彫刻といったカテゴリーに当てはまらないもの」を称したものであったが、現在ではもっぱら「空間芸術」をさすものになっている、アート表現の一様式である。空間に音楽を流したり、匂いをさせたり、床や壁に穴を開けたり、モノを(ゴミから土から「何から何まで」まで)敷き詰めたり、家具や物体を配置したり、演劇的なシミュレーションをしたり…そのカタチは様々である。
《アスキーアート》
絵文字、とは少し違うかな?文字で絵を描いたものを「アスキーアート」と呼ぶ。(「アスキーアート」においての「アート」とは、名ばかりで、そのほとんどが外界の風景やキャラクター、人物を文字で再現するだけの「アスキー画」に留まっている)
<例(携帯非対応)>
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`: ,、、, ;' < 逝っちゃってください
`: `` : \__________
: ;'
`、 :
(基礎知識はここまで)
Cryptony氏の句で使われる漢字や記号に意味はない。いや、あるとしてもそれは本来その記号が持っている意味内容とは無関係のものである。いうならば「外見だけ」で選ばれた記号である。また、それらが集まり作られる総体にも意味がないのである。何かの風景を描こうとしているのでもなく、目を細めて見ると何かに見えるわけでもない。もうお気付きだと思うが、この句は掲示板上の小さな、限られたweb空間において、ひそやかに、ラディカルに表現されている(笑)、史上初の「アスキー・インスタレーション」なのである(「只」はインスタレーションにおいて良く使われる足が八の字になっているテーブルにも見えなくもないし…)。確信犯か?なんにせよ、この句は繊細な記号を空間依存的に配置し、そこに緊張感を与え、それが属している(web)空間の存在を喚起しているのである。この「アスキーインスタレーション」というスタイルを沢山の人が取り入れ発展させてもオモシロイかもしれない。…と思わせてくれるような、エポックメーキングな、新ジャンルを開拓しちゃった句なのだ。皆、後に続け!
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哲学者ウィトゲンシュタインの言葉に“ Die Grenzen meiner Sprache bedeuten die Grenzen meiner Welt.“(私の言語の限界が私の世界の限界を意味する)という言葉がある。これが皆に当てはまるとしたらS湖氏には「限界」が無いかのように思える。笑。少しマンガチックな発想だが、この句は、いや、この人は「ドラゴンボールの孫悟空」並みの、『「私の限界」(ポテンシャル)を無限に広げちゃうようなエネルギー』の保持者ではないか。そんなエネルギーは、例えそれがフィクションであったとしても、心地よく、見てて気持ち良いものである。『「私の限界」を無限に広げちゃうようなエネルギー』をこの句から吸い取り、私の限界も広げたいものだ。とか言っちゃったり。
[63]
実は私はシス氏の絵を見たことがある。側面から見た自動車の絵、のはずなのだが、その絵には何故か向こう側のタイヤまで描かれているのである。その様相はまるで「展開図」のようなのだ。組み立てたら立体の車になるんじゃないかという感じ、…というほど上手くもないのだが。笑。この句を見ていたらあの絵が思い出された。「あれ」はステレオタイプな「側面から見た自動車の絵」を描こうとした結果の絵ではなく、「側面から見た自動車」を見、自分の知識/感覚と照らしあいながら、「ロジックの有機的な綱渡り」を行っていった結果の絵なのではないかと思う。その痕跡が、なんとこの句からも見て取れるのだ。言葉がまるで、アサガオのつるのように、有機的に伸びている。シス氏にとってのモチーフは「つるが巻き付く棒」にすぎないようだ。だから、できあがった作品が自然界で見るような、有機的な様相を呈しているのではないか。
ひさよ氏の 「さぁ 森へ狩りに行きましょう」ではないが、シス氏は、これから先のネオ自由律の展開を左右しうる、可能性を大いに秘めた、文字どおりの天然素材なのではないか。
[64]
「sperm whale」とはマッコウクジラの英語称である。マッコウクジラの生物学的な話を無視しちゃっても、この句は言葉だけ見て面白い。Spermは英語で精子(スペルマ)の意である。Spermと組み合わされたWhale(クジラ)からは、自然と「潮吹き」を想像しちゃったりする。シモネタだ。…しかし何故かこの句は全体が青い。文字の青さと英字のカッコよさが全然シモを感じさせなくしているのだ。この句はそういう意味で、タグ(HTML)を上手く使った句といえる。文字の色や大きさが句に与える影響は大きい。それだけで目立つようにもなる。しかし今期はそういった掲示板/HTMLの特性を利用した句が少なかった。この句はタグを上手く軽やかに利用するという意味において、これからのお手本になりうる句なのだ。
奨励賞の15句に、今回も一言づつ。
No.379:名言。 No.383:駄洒落なのに嫌じゃない。メルヘンチックな風景が浮かぶ。挿し絵が描けそう。 No.386:なんだこれ!深そうだけど…。超気になる。 No.405:ヘタウマって感じ。キッチュで嫌いじゃない。意外と大変だったのでは… No.408:これもヘタクソの魅力。キッチュ。 No.412:ナイ−ヴ。デリケート。 No.414:スタイルが個性的でいいのでは。少し少女趣味なのが気になる。 No.416:「俺」の前の空間に意味があるのかな? No.417:かわいい!駄洒落は余計。 No.419:爆笑…していいのかな? No.429 元の素材に問題がある気がする。 No.452:ネオ自由律のシミュレーションか。スタイルは面白い。内容が足を引っ張っている。 No.454:シュールレアリスム的で好きなイメージだが、アラが目立ってしまう。長文は難しい。 No.466:爆笑王。「面白い言葉」が「面白い発想」や「面白い行為」に変わるともっと面白くなるのでは。 No.471:この人、ぶっ飛んでます。
総評:ということで、今回は奨励賞の方々には具体的なアドバイスを組み込ませていただきました。
さて、総評。今期はいつもより募集期間が短かったからでしょうか、いつになく静かな感じでした。それともこういうのを「嵐の前の静けさ」と呼ぶのか…。22日からはとうとう天下泰平プロジェクト始まって以来の大イベント「森ウィーク」突入です!!「さぁ 森へ狩りに行きましょう!!」
…って実は「森ウィーク」中盤になって書いていたりして。
えっと、いつものように「受賞者のコメント/受賞者へのコメント」、 「ネオ自由律談義」、「不平不満」など募集してますので、普通掲示板の方で盛り上がりましょう!評遅れてすみませんでした。
審査委員長:施井泰平
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