第5回ネオ自由律公募2003年7月論評

──────────────────── 審査委員長の挨拶及び泰平賞の発表 投稿者:審査委員長  投稿日: 7月31日(木)23時21分07秒 __________________ ≫第5回(2003年7月期)泰平賞発表≫  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 挨拶:さてさて、僕の大好きな夏がやってきました。皆様はいかがおすごしですか?今年の夏は例年に比べると涼しく寂しい限りではアリマスが…。ま、残暑に期待しましょ。 しかし 天下泰平プロジェクトは熱いです。五回目を迎える今期ネオ自由律公募には、なんと初の大台突破となる155句が集まりました!!どうもありがとうございます!毎度毎度ですが、本当に感謝しております。 で、いきなりですが 、今回もまた表賞形式を変えました。泰平賞、最終候補はそのままなのですが、奨励したい句が増えてきたことから、今までであった音楽賞やオモロ賞、若葉賞などをまとめて<奨励賞>とすることにしました。これからは奨励しまくっていきたいと思います。 それでは泰平賞を発表します。 <泰平賞> Mi amas vin.(by: 八重, No.263) 【最終候補】  (by: (ё), No.258) 【最終候補】          錯偽威慌噂         処悪曳敵怒閑         嘘下呪渇劾痕         鬼棺刑悔汚恕   難屑病誤癌擬憶桶過壊拐崖灰死蠱訃阨喝   詐欺却虐窮怪拐兇凶監恐狂抗獄拘恨傷犯   災犀砕罪殺惨散湿姦弱腫囚臭襲讐重殉庠   癖窃堕怠濁恥痴致畜寵終墜痛毒沌鈍拷酷         呆虜凌歪懲邪            迷密辱乱弔囮           滅悶喪裂浸騙         誘賄醜卑闇         一寿春       娯旬慈猫富家貴      楽信熟初愛智乳助天     活感歓来惚魂才成彩祭賜    崇雪仙雲甘   想走贈速姫     覇満蜜色癒咏善禅美賑徳      尽安易浮快寝念進心       満上夏花火飯気         森仏神 (by: せんとりす, No.296/297) 【最終候補】 <table width="300" border="1" cellspacing="0" cellpadding="5" bordercolor="#FF0000" height="300"><tr><td><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" width="80" height="60" bgcolor="red"> <tr><td><table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0"><tr><td></td></tr></table></td></tr></table></td></tr></table> (by: あそこの山, No.376) 【最終候補】 誕生日おめでとう!(by: うめさん, No.346) 【最終候補】 若年性健忘性(by: シス, No.245) 【最終候補】                               限界           な  んても          のは   自分が            勝手に      決め てる       だけ                         ニャーと、 ネコ               は                   言う (by: べむ, No.288) 《奨励賞》 スペースの関係で番号のみの発表とさせて頂きます。 No.241, No.244, No.272, No.290, No.295,No.303, No.309, No.311, No.314, No.315,No.352, No.354, No.360, No.372, No.373, No.375. (順不同) [5t] <評> 泰平賞の八重氏の「Mi amas vin.」はエスペラント語で詠まれた句である。エスペラント語とは:1887年にポーランドのザメンホフという人が万国共通語を目指し作った人口語である。「…異なる文化や言語をもつ人びとがたがいに対等な立場で共通の言語を使うことで国際平和に寄与しようというザメンホフの思想に基づいて創られた。」とマイペディア(百科事典)に書かれてあるよう、氏のコミュニケーションに対する&世界平和に対する強い想いがこめられた言語なのである(しかし実際の普及率は限り無く低い)。ちなみに「Mi amas vin (ミ アーマス ヴィン)」は英語に訳すと「I Love You」という意味である(日本語に訳すと語意・語感が変わるため英語に訳した)。 ■朽ちた城のモノガナシサ エスペラント語という万国共通語を目指す人口言語があり、一時繁栄したが今はほとんど話す者がいなくなった、という話を初めて聞いた時、私は宮崎の「天空の城のラピュタ」を思い出した。(語弊はあるだろうが)昔の人が大きな夢を抱いて完全なものを作ろうとした、そんな「夢の跡」のような感覚をおぼえたからである。八重氏の句をその感覚に置き変えると、まるで「天空の城ラピュタ」の朽ちたロボット兵が手に花を持っているのを見た時のようなものである。いや、ラピュタでなくてもどんな歴史的建造物・遺産にでも備わる儚さやせつなさ、そんな感覚をこの句は感じさせてくれるのだ。 ■二重のミスコミュニケーション 上述したように、エスペラント語とはその言語自体が世界に向けた平和への思いを含んでいるものである。いうならばエスペラント語自体が世界に向けた「I Love You」を表しているのだ。この句はそんな「I Love You」なエスペラント語で、「I Love You (Mi amas vin)」のメッセージを発信しているので「二重のI Love You 構成」になった句であるといえるのだ。しかしエスペラント語の「I Love You (Mi amas vin)」は世界のほとんどの人に伝わらない言葉である。それは同時にエスペラント語自体がもつ世界に向けた「I Love You」も伝わらないという、二重の、同語反復的ミスコミュニケーションが行われるということなのではないか、とか考えてしまう。 また、この句が「万人に伝えようとするが、ほとんど伝わらない言語で詠まれた句」という意味において、世界中のほとんどの人が共感できないという逆説的にグローバルな側面をもつ点もとてもトリッキーな感じで面白いと思った。 [51] 最終候補の(ё)氏の句はそこに画像があるはずだがなくなっている事を示すマークをネオ自由律として投句した句である(ブラウザによっては見えない場合があります…Mac版Netscape7.0では何も表示されませんでした)。画像をweb上で公開するには、いったんその画像をweb上の自分の土地に置き、その土地のアドレスを貼付け、土地から画像を呼びだすコマンドを入力しないといけない。この句の場合<img src="http://page.freett.com/carneiro777/s.gif">と入力することによってhttp://page.freett.com/carneiro777/s.gifという土地から画像を呼び出すのである。なんらかの事情でその土地においた画像がなくなると、そこにあるはずの画像がないということでこのマークが出る。つまりこのマークはそこにあるはずのモノがなくなってしまっている事を示しているのである。インターネットに少しでも携わったことがあるものなら誰もが見たことのある、もどかしさを感じるマークなのだ。 現代美術の父といわれるマルセル・デュシャンの作品に "With Hidden Noize(「秘めたる音に」)"という作品がある。本人が後ろを向いている間に友人に「何か」を入れてもらい、封をしたという作品である。振ると音がなるが、何が入っているかはデュシャン本人も知らなかったという。"With Hidden Noize"を見るものは、その話を聞いた瞬間からその箱の中身を想像する。それは中身を想像させること自体をアートとした作品なのである。 (ё)氏の句は"With Hidden Noize"同様 本来あるはずの画像はどんなであったかの想像を掻き立てるものである。それを「隠す美」ともいうのであろうか。そう考えるとデュシャンより前から日本人の美意識に組み込まれた考えでもあるように思えてくる。なんにせよ、web上に散在しているすべてのこのマークを「想像力を喚起するマーク」へと変えてしまう程影響力がある句であるという点を高く評価した。 [52] 最終候補のせんとりす氏には楽しませてもらった。この句は最初はタダの漢字の塊であった。それが(編集機能により)時とともに変化し、最終的に、このなんともかっこいい形になったのである(少なくとも<塊→徐々に散らばる→サイズの変化が加わる→色の変化が加わる→形が表れる>というような変化を確認した)。そんな儚いパフォーマンス性を俳句に盛り込んだ点はとても面白いと思った。 パフォーマンス性だけではなく最終的にできた句も面白いのがこの句のスゴイところだ。当初から、漢字の内容はほとんど変わっていない(おそらく)。その内容はNo.296(下)が「善」に対してNo.297(上)は「悪」とか、「女性的なもの」に対して「男性的なもの」とか、対比した印象を受けるものである。 女性的/男性的な対比という見方をするとその色における対比とも一致する。形も…。あ"!!リビドーだ!!そういえばでかでかと「エロス」と投句した作品(No.328)もせんとりす氏のものだった。もうほかの見方はできない…。めちゃめちゃ目立ち、カッコヨク、笑えるのだが、携帯から見るととんでもないことになってしまうのが難点。(この句は二つの句として投句されているが、二つの句の対比で見せる句と判断し、ここでは二つの句を一つの作品として扱います) [53] 最終候補あそこの山氏の句はHTML(Hyper Text Markup Language)というwebページを作製・整形するために使われる言語で詠まれた、作り手/受け手のコミュニケーションにおける相対的構造を喚起する句である。web上で見るHTMLデザインと雑誌等で見る紙媒体デザインとの大きな違いは紙媒体が絶対的(誰が見ても同じ)デザインなのに対し、HTMLは相対的(見る人によって変わる)デザインであるという点であろう(紙媒体でのデザインは「ここにタイトル」「ここに内容」と絶対的指示をするのに対し、HTMLでは「画面最上部から3行目にタイトル」「タイトルから最下部までの中間位置に内容」というような相対的指示をする)。このシステムによりHTMLデザインは見る人の環境(使用するパソコンのOS・ブラウザ・画面の大きさ等)によって見え方が変わってしまうのである。(ちゃんと見れないサイトがあるのは制作者が自分のパソコン環境に対応したデザインをしてくれていないからである) ところで、HTMLは人間のコミュニケーションシステムとシンクロした構造を持っているように思える。コミュニケーションにおいても、発せられたメッセージは受ける側の知的環境によってそのカタチを相対的に変えるからである。又その意味では、逆に、記号を扱う全てのコミュニケーションは相手の脳みそに向けた(HTMLのような)プログラミングであるともいえるのだ。…ま、うんちくはこの変にしておくが、この句はこのようなコムズカシイ、コミュニケーション論を考えてさせてしまう句であるのだ。さてこの句をブラウザを通して見るとどうなるか。→こうなります。 (携帯非対応)お!意外(あの文字列からこの図形を想像した人はいるだろうか?)。…この感覚はまるで人の頭の中のイメージをのぞいているような感覚ではないか!なるほどね…。やはり「作り手/受け手のコミュニケーションにおける相対的構造を喚起する句」のようだ。笑。おもしろーい [54] 俳句だけに限ったことではない。日常の全ての(良い/悪い、好き/嫌い、同調する/しない、気になる/ならない等の)判断は絶対的なものではなく、受ける人の知識、環境、境遇やタイミングによるところが大きい。「昨日は好きだったけど今日は嫌い」という変化はどんな人間にも起こりうる。長く生きていると、もしかして変わるかもしれない自分の感情の存在を意識するようになる。「死ぬまでいっしょだよね?」と彼女に言われ、絶句してしまう人はそんな人であろう(笑)。しかしその対象が芸術作品ともなると、それがより感覚的判断なため、自分の価値判断が流動的なことを意識せずに判断してしまう人は多いのではないだろうか。 最終候補のうめさん氏の「誕生日おめでとう!」はそんな流動的感覚を喚起する句である。偶然か、必然か、間違いか、うめさん氏がこの句を投句した次の週に私は誕生日を迎えた。そのため、この句を見た瞬間、「俺?」と(少し)思ってしまったのである。間違いか?それとも他の誰かに向けたメッセージなのか?と困惑した。これは半年前では絶対に味わえなかった感覚であろう。私だけではないはずだ。うめさん氏の知り合いで、7/22日(投句日)に誕生日を迎えた人がいたのなら…とか、その他にも見る人の環境・境遇によって様々な捉えかたがあったであろうことが予想される。知り合いだけではなく、将来偶然誕生日にこの句を見る人も出てくるであろう。(もちろん、一番多いのは「自分とは関係がない」というものだろうが) とにかく、そう考えるとこの句はいつまでも見る人のバックグラウンドを選び発せられる句なのだ。「出会いの儚さ」に焦点をあてたロマンチックな実験、とでもいうべきか。 [55] 若年性健忘症という症状がある。それは痴呆症とは異なり、CTやMRIで脳を検査しても異常は見られないが、放っておくと痴呆を引き起こす要因になる可能性もある「物忘れ」の症状である。最終候補のシス氏の句はしかし良く見るとそれとは少し違う。若年性健忘…性。あ"、…ちょっとクラッとする。…そしてもう一度読み直してしまう。何度も読み直してしまう。意味が分からない、のではなく、分かりそうなのにつかめない、のである。哲学書を読むと、この感覚に遭遇することがある。昔読んだ本に形而上学的的〜というのを見た。的的でクラットした。的とか性とかクラッとくる。なんでだろう。それはさておき、クラッときたあと私は一つ一つの漢字の意味を考えはじめてしまう。辞書を引き引きし、単語の持つ意味合いを解体し、理解しようとする。そのプロセスで言葉の「表現しようのない不思議性(クラッ)」に出くわすのである。一瞬、見えるはずのないような真理や悟りが見えるようなクラクラ性感覚、この句はそんなアクロバティックな知的体験を抽出し味わわせてくれる、味わわせてくれる性のある句なのだ。笑 この「知的覚醒剤」は、乱用すると若年性健忘症になる危険性が…あったり、なかったり。 [56] ジグソーパズルを組み立てて、箱に入れ、振る。すると、秩序は崩れる。パズルは、箱を振れば振る程秩序がなくなっていく(らしい)。秩序がなくなっていくことをエントロピーが増大するという(らしい)。秩序は無秩序が生んだ偶然の気泡のようなもの(らしい)。故に、生があり死がある(らしい)。無秩序から秩序が生まれることが生であり、そして、産まれた秩序が無秩序へと帰ってゆくのが死(らしい)。なら、ベム氏のこの句は文章が死に向かう瞬間を視覚化したものであろうか。死に向かう瞬間であるから強度が弱まり、様々な解釈を許すのであろうか。だとしたら「死」に向かう文章は、新しい、ネオ自由律的解釈という「生」をもたらすのであろう。文章の死がネオ自由律の生を生む、この句はそれを証明してくれているのではないか。ホ−キングよ、どう解釈する? 奨励賞の16句に、せっかくなので一言づつ。 No.241:ん?なんだこれ?気になる。 No.244:ハンドルネームの不思議。自分で言ってみたり。 No.272:頭がクネクネする。読点の使い方が面白い。 No.290:爆笑。 No.295:不思議な世界に連れていってくれる。 No.303:爆笑(少し文学的な匂いもする)。 No.309:俳句=芭蕉から離れられない感じが笑える。 No.311:異色の組み合わせが面白い律動を生んでいる。 No.314:辛口、ではなくスッパ口の表現とでもいうのか。  No.315:何かいいたいが、何もいえない。 No.352 「ネ」だけかよ! No.354:爆笑。なんだこの世界観は。 No.360:ローカルすぎます。 No.372:面白い。もう少し何かを。 No.373:面白い!浅い!&深い! No.375:これも面白い。展開に期待。 総評:今回は<評>が大分遅れてしまいました。ごめんなさい。恥ずかしながら、理由は「忙しかった」というよりは「書けなかった」のほうが近いです。プロジェクトが拡充していくにつれて、プレッシャーが大きくなってきたからであろうか。作品が難解になってきたからであろうか。それとも自分が求める文章のクオリティーがあがったからであろうか。多分そのすべてであると思いますが、なんにせよ嬉しい悲鳴とはこのことです。ネオ自由律が順調に成長している証なのだと思います。(遅れたのに開き直り) このプロジェクトはまだまだ過渡期の真只中です。今後の成長に向け、皆様の御意見をお聞かせ下さい。BBSにてご意見ご感想、不平不満、「ネオ自由律談義」、「私が好きな句」、「受賞者からの言葉&受賞者への言葉」ナド展開していただけると幸いです。私の一方的な審査からだけではなくインタラクティブなコミュニケーションから新たな波が 生まれたりするようになったら楽しいと思います。それでは皆様ありがとうございました。次回もがんばっていきまっしょい! 審査委員長:施井泰平 ──────────────────── >> 第5回ネオ自由律公募<アーカイブ> ・ ./.. ・ 天下泰平プロジェクトtop