第4回ネオ自由律公募2003年6月論評

──────────────────── 審査委員長の挨拶及び泰平賞の発表 投稿者:審査委員長  投稿日: 7月 1日(火)00時09分20秒 __________________ ≫第4回(2003年6月期)泰平賞発表≫  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 挨拶:天下泰平プロジェクトがtaihei.orgに引っ越し、プロジェクトが本格化しはじめてから初めての月を迎えた、と言っても過言ではない今回泰平賞には、おかげさまで95もの句が集まりました!どうもありがとうございました! 今回からは、せっかくのアート・プロジェクトという事なので、評論を書く際、美術、文学、音楽、映画など様々なアートを紹介していこうと思います。これをきっかけにしてアート自体にも興味を持っていただければ幸いです。又今回からは、「若葉のように未来のある句」「荒削りではあるが魅力あふれる句」を評す泰平若葉賞を作りました。完成度だけを目指すのではなく、ネオ自由律のポテンシャルを広げるエネルギーを生み出すきっかけになればと思います。それでは泰平賞を発表したいと思います! <泰平賞> ひぐちーみてるー!?(by: オルポゴ, No.138) 【最終候補】 チャリン チャリン チャリン チャリン チャリン チャリン チャリン チャリン チャリン (by: ひさよ, No.137) 【最終候補】 ♥(by: うめさん, No.170) 【最終候補】      Am     G      D   (by: オルポゴ, No.211) 【最終候補】 ●●●(by: 八重, No.202)   <泰平オモロ賞> 灼けた道路にギリギリ垂直に立ちサムアップ。(by: せんとりす, No.199) <泰平音楽賞> 良い音の出る尻を叩く(いいおとのでるけつをたたく)(by: プッタ, No.163) <泰平若葉賞>  給与明細勝手にアップされる。寂しい世の中になったのう。けれども税金のがくをみるたび悔しくなる。ケチは変わらない。(by: シス, No.208) [4t] <評> 第4回泰平賞のオルポゴ氏 「ひぐちーみてるー!?」は俳句における鑑賞者と表現者の間の禁断の壁を取り払ってしまう、というタブーに挑戦する句である。この句を評する上で「ジーン・セバーグの目線」の話と「ガキの訴え」という話を取り上げてみる。 ■ジーン・セバーグの目線 映画界の巨匠ジャン・リュック・ゴダールの代表作に「勝手にしやがれ!」という映画がある。この映画を見て気付くのは主演のジーン・セバーグが時折カメラ目線になってしまうということ。実は当時、(多分今でも)映画の中で役者が演技中にカメラを見ること(カメラ目線)はタブーであった。それまで非現実(作り上げられた世界)であったはずの映画の中の住人と目があう事で客が夢から醒めてしまうような感覚に陥るからである。しかし、ゴダールは、ジーン・セバーグのそのカメラ目線を積極的に取り込み、映画を解体していく「ヌーベルバーグ」の道具と変えたのである。 「ひぐちーみてるー!?」は鑑賞者のうちの誰かに向けたメッセージであるため、俳句における鑑賞者の存在という暗黙の前提をむき出しにする。それは言うならば鑑賞者が見ようとする「作り上げられた小宇宙空間」からこちらに視点を向けるような行為である。このことにより鑑賞者はジーン・セバーグに見つめられた時のように現実界に引き戻され、居場所を失ってしまうのである。その観点でこの句を「鑑賞者と表現者の間の禁断の壁を取り払ってしまう、というタブーに挑戦する句」と評する。 ■子供の訴え 朝の番組等でアナウンサーが取材をしていると何処からともなく素人のガキがあらわれ「●△ちゃん見てるー!!」とカメラに訴えるシーンを時折見かける。カメラやマイクを向けられるとその類いの言葉を発してしまうガキは多い。何故か。単純に(反戦や動物愛護といったメッセージや宣伝等)何か目的でもない限り、人は訴えるものがないからなのではないか。そのためメッセージのないそれらのガキにとっては「テレビに写る事」自体が目的化してしまっているのである。「●△ちゃん見てるー!!」は、その「写る事」が目的化する現象を忠実に表現している。引いては、それをを俳句に取り込んだ「ひぐちーみてるー!?」はネオ自由律のコンセプトの一つである「自由」の先にある訴える事のない「無」の状態を露呈するのだ。それ故この句はネオ自由律の「投句自体の目的化」を端的に、秀逸に表わした「完成度の高い句」と成り得るのである。 [41] 最終候補のひさよ氏による「チャリン チャリン チャリン…」は周りの句との兼ね合いの中ではじめてその存在が確立するネオ自由律の特性を味方にした句である。チャリンと聞いて人は何を想像するだろう。私は直ぐに自転車の鐘が浮かんだ。友達と話しながら歩いていると後ろから自転車にチャリン チャリン チャリン…とやられ、道をあける、みたいな光景だ。他にも浮かぶが、例えば小銭が落ちる音、福引きの当選者を知らせる鐘、来客を知らせる鈴など、どれも存在感の強いものばかりである。だれもが思わず注目してしまう、チャリン チャリン チャリン…とはそんな音である。この句はしかし、注目させた後の目的も中身もない。つまり「注目させる事」自体が目的化した句なのである。だから尚のこと「周りの句との兼ね合いの中ではじめてその存在が確立する句」と成り得るのである。又その事で前後の投句との依存関係を喚起しているのであり、それ故、掲示板に次々と投句される「ネオ自由律」の特性をうまく利用した句と評した。沢山の句の中で上品に人目を引く、この句はそんな句なのではないだろうか。 [42] 最終候補のうめさん氏の「♥」は何といっても目立つ句である。 「ポップアート」の作家として分類されることの多い作家にジム・ダインというハートをモチーフにした作品を多数制作している巨匠がいる。その作品にはハートという記号のイメージに沿った可愛らしいモノもあれば、そのイメージとは懸け離れた、ドロドロした汚い色&質のモノもある。それらを見た時に、「ハートってなんて卑猥なんだろう」と感じたのを覚えている。ハートとはどんなにカッコよく、汚くアレンジしていても、それをかたどっている限り卑猥な匂いが全く消えない強烈な記号なのである。「♥」はそんな卑猥な記号を、さらに卑猥なピンク色で表現しているため、かなり卑猥で強烈な印象を人に与える。しかもこの卑猥&強烈さは地球上のほとんどの人が理解できるほどグローバルなモノなのである。そう考えるとかなり完成度の高い句なのであるが、携帯から見ると「ハート」にならないのが唯一残念な所だった。やはりネオ自由律は携帯から見れないと…。 [43] 最終候補のオルポゴ氏の「      Am     G      D   」は謎多き句である。それはまるで考古学や推理小説の魅力にも繋がる探究心をそそる種の謎である。良く見るとAmとGの前には5つの全角スペースが、Dの前には5つの全角スペースと1つの半角スペースが、Dの後には2つの全角スペースと1つの半角スペースが開いている。これを可視化するとこうなる。「□□□□□Am□□□□□G□□□□□xD□□x」(□が全角xが半角スペース)。穴埋めがうまくいくと謎は解けるのか?う、分からない。謎が解けない…。いや、そんな事より本当に答えなんて用意されているのであろうか。パッと見、「 I am God(私は神である)」に見えなくもない。もしや、オルポゴ氏は謎を解こうとするモノ達を神のような視線で操る、そんな装置を作ったのかも。そういえば少し前に話題になった考古学の歴史をねつ造してしまった人の愛称はゴッドハンドだった。…なーんて考えすぎかな?いやそれにしてもねつ造=アートな気がするのは私だけであろうか…。何にせよ、この句はネオ自由律史上初の2句同時入選をやってのけただけありすばらしく面白く、放っておけない句である。 [44] 最終候補の八重氏の「●●● 」は 「♥」同様、目立つ句である。いや、目立つという観点で見れば「♥」を超えている。何せ形の中で一番強いと言われる「丸」が3大原色に限り無く近い3色で構成されているからである。さらに、良く見るとイタリック(斜文字/強調)になっているのである。笑。内容はどうであろう。これは何を表わしているのであろう。何を言わんとしているのであろう。…色々考えてしまう。順番のあべこべな信号機、どこかの旗、三色だんご…。いや、それともこの3色で自分の色を作りだせ!とでも言っているのであろうか(3原色で全ての色がつくり出せるといわれる)。何にせよ、幅広い解釈を受け入れ、同時に拒絶する「強い」句であることは間違いない。 泰平オモロ賞のせんとりす氏の「灼けた道路にギリギリ垂直に立ちサムアップ。」は映画で例えるなら黒澤明の晩年の作品「まあだだよ」のようである。ストレートに評すと「何を考えているかが分からない」のである。砕いた表現では「いっちゃってる」とでも言うのだろうか。しかし今回の公募において「いっちゃってた」句はこれだけではなかった。何故にこの句が泰平オモロ賞に選ばれ、また「まあだだよ」のようなのか。それは「いっちゃってる」だけではないからである。黒澤明はいわゆる「完璧主義」で有名な監督である。その完璧主義は、邪魔だった民家の屋根を撮影の為だけに取り払ってしまった程である。それは晩年になっても変わらなかった。彼の遺作となった「まあだだよ」で、彼は一つのシーンがイメージと合わず、丘を作ってしまったのである。しかしできた映画は意味不明で、何のためにこだわったかの見当が皆目付かないのである。いうならば「まあだだよ」は「こだわった」&「いっちゃってる」映画(それを評論家は「もういいよ」と評した)なのである。アーカイブでは消えてしまうが掲示板上では投句したあと編集をすると「編集済」という小さな印が付く。そう、「灼けた道路にギリギリ垂直に立ちサムアップ。」はそんなマークが輝く、「まあだだよ」同様「こだわった」&「いっちゃってる」句なのである。僕の記憶では初稿では「ギリギリ」という部分が抜けていた。何を思ったか33時間後に足したのである。「ギリギリ」は「まあだだよ」でいうところの丘であろう。このこだわりの鉾先がたまらなく面白かった。ゆえに泰平オモロ賞に選んだ。天才黒澤が何十年もかけて辿り着いた境地にいとも簡単に辿り着いてしまうとは、せんとりす氏おそるべし。 泰平音楽賞のプッタ氏の「良い音の出る尻を叩く(いいおとのでるけつをたたく )」は何度読んでも、「よいおとのでるしりをたたく いいおとのでるけつをたたく」と読んでしまう。あ、ヤバイと思って見直してもまた「よいおとのでるしりをたたく いいおとのでるけつをたたく」と読んでしまう。あ、ヤバイと思って見直してもまた「よいおとのでるしりをたたく いいおとのでるけつをたたく」と読んでしまう。傷付いたレコードの永久ループのように「よいおとのでるしりをたたく いいおとのでるけつをたたく よいおとのでるしりをたたく いいおとのでるけつをたたく…」と繰り返し繰り返し読んでしまう。そして、そのうち「叩く」の部分がリズムを奏ではじめる。言葉の微妙なズレが「ライム」を生む。最後には「リズム」と「ライム」が合わさり「音楽」になる。この句は人間の脳を直接操るプログラムであり、人間の習性を利用したオルゴールなのである。すげー! [wakaba] 今回新設された泰平若葉賞のシス氏の句には、なんとも言えない空気が漂っている。それは決して今回受賞した「給与明細勝手にアップされる。寂しい世の中になったのう。けれども税金のがくをみるたび悔しくなる。ケチは変わらない。」だけに言える事ではない。シス氏のすべての句に言える事である。それは決して他人がまねることのできない、生まれもった匂いなのであろう。 「給与明細勝手にアップ…」を見てみると、その「匂い」が全ての文字から放たれている事に気付く。しかしこの句はただ匂いを嗅がせてくれるだけだ。その匂いの正体はまだ鮮明ではない。正体が鮮明になったら、何が見えるのであろう。楽しみであり怖くもある。 総評:今期はおかげさまでかなり盛り上がりました。投句をしてくれた皆様、応援してくれた皆様、どうもありがとうございました。 今回は投句数がかなり増え、審査もとてもやりがいがありました。これから先のこのプロジェクトの発展は僕の努力次第といったところでしょうか。まずはもっともっと参加者をかき集めてこなければ!プロジェクトの宣伝をしなければ!投句をして下さっている皆様に恩返しができるよう、これからも頑張って天下泰平プロジェクたいと思います。ではまた次回もよろしくお願いします!(審査委員長) ──────────────────── >> 第4回ネオ自由律公募<アーカイブ> ・ ./.. ・ 天下泰平プロジェクトtop