第2回ネオ自由律公募2003年4月論評

──────────────────── 審査員の挨拶及び「泰平賞」の発表 投稿者:泰平  投稿日: 5月 1日(木)01時17分18秒 <審査員の挨拶> ネオ自由律第2回目にあたる今期は合計66の句が集まりました。賞品ももらえないこんな企画に参加してくれた方々に本当に感謝しています。先日ニュースで「好かれる上司ベスト3」みたいなのを見て、最近の人は「具体的な」&「適格な」指示を望んでいることを知りました。逆に「夢を持て」とか「成功しよう」とかの、曖昧な指示は嫌われるという事ですので、上司ではありませんが賞を選ぶ身として、今回はロジカルな論評を心掛けます。コムズカシイ評論を適当に受け止め、楽しんで下さい。 2003年4月期 「泰平賞」 No.81.  「先手 5六歩 後手 同 飛」 (作者:eizo) (最終候補) No.32. 「桜色の桜」  (作者:ひさよ ) No.72. 「私これからピアノのお稽古にいくの。」 (作者:オルボゴ) No.79半. 「じゃぁ見てない画面を付ける。」 (作者:ミウラりか) (佳作) No.60. 「ぎゃーっ、お地蔵様にコケが生えてる」 (作者:風〜) No.47. 「運命消え去ってもうすぐ 白い恋のスト—リーへ」  (作者:スリップ ) <評>[2t] 「先手 5六歩 後手 同 飛」は将棋の棋譜の表記法を取り入れた句である。その表現における社会的現在性 芸術表現的現在性 表現の洗練性という3性(笑)が秀逸であると認め、「泰平賞」に選んだ。 <社会的現在性>この棋譜において分かる事実は、まず「歩(フ)」(一番弱いコマ、基本的に前方に一駒ずつしか進めない)が5、六の位置へ進んだ→ 次に相手の「飛車(ひしゃ)」(縦、横なら何駒でもすすめる。)が同じ5、六の位置へすすみ、今そこに進んだばかりの「歩」を取った、というものである。 単純解釈しても強い者(権力があるもの、可能性が多いもの、恵まれたもの)が弱いもの(動きが限られているもの、権限が少ないもの)をやっつけるという構図がこの句のポイントであろうことが分かる。 「将棋」の引用はタクティックス(戦術)を連想させるための仕掛けであろうか。なら尚、アメリカ/イラク戦争という大きなNEWSが作者を動かしたのではないかと連想してしまう。今世界中が注目しているこのテーマに真っ向から向き合っている姿勢に(勝手な解釈かもしれないが)好感を抱いた。 <芸術表現的現在性>とは「俳句」に「将棋の棋譜」を組合わせた表現の学際(インターメディア)性を指し示したものである。一つのジャンルを超越し、他ジャンルと交流する事により新たな表現の可能性を模索する姿勢には好感が持て、現在性も感じた。ちなみに前回泰平賞の「おばちゃん 今日ちょっと素敵だね あら ありがとう」も俳句/台詞という表現の学際性を評価したものである。 <表現の洗練性>引用している棋譜のストイックな叙事記録法に敏腕俳句師eizo氏の整形を加わえ、「余計なものが一切ない」ものに仕上げたその日本刀のような機能美はこの句の最大の魅力である。例えば、何故「角」ではなく「飛車」か。それは漢字に見る「歩」と「飛」の意味の対比の美しさを選んだからではないか。また、権力ならば「王」を選ぶが、そうではなく「飛車」を選んでいる点や、果ては将棋というゲームそのものの魅力まで奪い取ってしまっている点まで、論じたらキリがない程この句には面白いドラマ/メッセージが詰まっている。凝縮された情報の解凍は各々で楽しんでみていただきたい。長くなったのでこのヘンで。 [21] 最終候補の「桜色の桜」は<記号における記号表現(シニフィエ)と記号内容(シニフィアン)の反復/トートロジー>という少し難しい哲学的テーマを扱った句である。「それは何色?」「それ色」というような会話は、実は可笑しいようでリアルなものである。誰にとっても、人間がつくり出した「記号」と「意味」のイコールの法則は、それに気付いた瞬間、世の中の不自由さを垣間見てしまうほど重いものであろう。それはニーチェの「永遠回帰」を彷佛させるような暗い、希望がなくなってしまうようなものであるが、ひさよ氏はそれを桜という「始まり」や「出会い」のイメージと組み合わせる事により「不自由からの脱却の瞬間」のイリュージョンを見せてくれている。こういうのを「超少女」的魅力というのだろうか。この先が見たい! [22] 「私これからピアノのお稽古にいくの。」は無垢な少女が誰にという訳でもなく言ってそうな台詞である。それは、かわいらしく、考え方によっては泣ける要素もある台詞だ。しかしその台詞に怖さも同時に感じるのは僕だけであろうか。その怖さは異性の考えている事へのブラックホール的未知性からくるものだろうか。いや同性の、成人女性にとっても怖いのではないか。なぜならこの台詞を吐くのは少女だけではなく、ボケ老人も(笑)、だからである。少女&ボケ老人に共通したもの:ピュアさ、しかし嘘かもしれない感じ、何を考えているのか分からない感じ、が恐怖心をあおるのであろう。又、当初作者オルボゴ氏の年令、性別、人種、人格、意図、姿勢ナド全てが不明であったという匿名性も恐怖心を加速させていた。まさか本当に今からピアノの稽古に行く報告した訳ではあるまいから…。 [23] 「じゃぁ見てない画面を付ける。」はタイトルが「ネオ自由律にレス(?)」で、番号はNo.79半、内容もじゃぁ…から始まる意味不明なもので、名前はカタカナとひらがなという、グダグダな、完全に自立できてない句(&飾り)である。しかしその「グダグダ」が句を構成する全てのDNAに宿っているというすごさ&その特筆すべき完成度がこの句を最終候補まで残したのである。正直、この句が一番かっこよかった。ミウラりか氏の他の作品からも理性的なアプローチが垣間見られるため、意図的であったものと推測する。実験精神万歳! 佳作の2点について。選んだ理由をロジカルに論じられないものを「佳作」という新たな形で選んだものである。それは音楽的な要素が主な、「響きが好き」とかいう好みの問題で選考したものです。引いては、選考基準が他と違うため、最終候補の下という位置ではなく、むしろその評価軸のトップ2作という感じで捉えてもらいたいものです。 他、ココにはあげられなかったもの。えり、なお。、両氏の句はどれもかなり魅力的だが、実在人物の登場など「100年後の人が見たら理解できない」ような要素が強すぎた事が賞に選ばなかった理由です。でもこれは、あくまで賞の判断基準であり、面白さや魅力とは必ずしも比例しないので無視して下さい。賞を取るか、効き目を取るかだね。ファンが多いので続けてほしいのだけど…。 うめさん、ひろし両氏は正直、近親憎悪です。作っているプロセス、こういうのが作りたいという感じ、こういう風に楽しんでくれというのが見えすぎちゃうのが難点でした。異性や異タイプの人には好かれるかも。 とじま氏は前回の受賞を機に実名に変えたあたりなんかがむかつきました(笑)それが笑えた点でもあるけど。 <総評> 泰平賞のeizo氏始め、今回は投句数の少ない人達が賞/賞候補に名をつらねた。3月期は3日間のみの募集期間であったためほとんど気が付かなかったが、一ヵ月という長い募集期間があった今回は、投句のタイミングだけではなく、投句のスタンス/スタイルというものが審査に強い影響を与えたようである。 3月期の総評で述べた相対評価の観点は「全体の中の一つの句」というものであったが、今回は「全体の中の一人の作者の中の一つの句」というような、より複雑なものに移行していた。このような状況下では、投句のタイミングは勿論(自分の)前後に投句した句との関係性までをも気にしながら投句しないといけないのであろう。しかし今回は、ほとんどの人(私含め)が自分の句を自分で弱くしていた気がする。一貫性がなくて弱くなっていた句・人もあったし、不条理なことではあるが、一つ一つが面白すぎてお互いを潰していた句・人もあった。eizo氏と、反則負け(笑)のえり、なお。、両氏の句が強く印象に残ったのは、逆に、自己プロデュースが比較的上手くいっていたからではないか。投句が少ない人たちが賞候補に名をつらねたのも同様の理由からだと思われる。このようなことから、これからのネオ自由律では一つ一つの句のクオリティー以上に自己プロデュースの上手さが求められるのではないかと感じた。「ネオ自由律」も個性やアピールポイントの時代に突入だ! <まとめ> ネオ自由律は始まってまだ一ケ月チョットしか経っていない。しかし既に当初僕が考えていたモノとは全く違うものになっている。人とのかかわりの中で生まれるモノはだから面白いってか?こうやって自分の考え方も少しずつ変わっていくのだろう。まわりも少しずつ変わっていくのだろう。この調子で、「自由」をここでぷくぷく膨らまして、いつかは世の中が変わるほどにならないかなぁ、とかそんな事考えはじめているぐらいです。まだまだ始まったばかり、ネオ自由律はこれから何処へ向かうのか?楽しみで仕方がない。投句してくれてた方、見てくれていた方、本当にありがとうございました。5月もよろしくね。 審査委員長 ──────────────────── >> 第2回ネオ自由律公募<アーカイブ> ・ ./.. ・ 天下泰平プロジェクトtop