第1回ネオ自由律公募2003年3月論評

──────────────────── 審査員の挨拶及び「泰平賞」の発表 投稿者:泰平  投稿日: 4月 1日(火)01時36分50秒 ネオ自由律募集開始から三日で23句も集まり驚愕しております。すごくうれしいです。かなり楽しいです。それでは早速「泰平賞」を発表したいと思います。 <審査にあたって> 当初は9:1くらいの割り合いで自分が投稿し、しばらくの間は自分が泰平賞を総なめするのではないかという気持ちがありました(笑)。 ところが蓋を開けると自分の世界の狭さを実感してしまうような句が沢山集まり、現在は心地の良い「裏切り感」を感じております。 2003年3月期 「泰平賞」 No.11「おばちゃん 今日ちょっと素敵だね あら ありがとう」(作者:二回目) (最終候補) No.12.5 「1台の車に家族5人」 (作者:ひさよ ) <評>[1t] 自由律俳句には孤独、陰湿といったネクラな印象がつきまとう。それは何故か、そこにはいつも強烈な主観が存在するからではないだろうか。第一回「泰平賞」に選ばれた「おばちゃん 今日ちょっと素敵だね あら ありがとう」は会話文で構成されているため、一見この定義を見事に裏切った句であるかのようにみえる。しかしこの句には、おばさん達によるさわやかな会話を聞く第三者の存在に気付いた瞬間、情景が陰湿なものに変わってしまうという仕掛けがある。つまりこの句は見方によってさわやかにもなり陰湿にもなる。客観であり、同時に主観でもあり得る。句で表わされている情景があくまでニュートラルであることが想像力をかき立てるのであろう。作者の意図は果たしてどちらにあるのだろうか、その真相はまるでオーロラのように妖しく表れ、消えていく。 [11] 最終候補の「1台の車に家族5人」も同じく、ニュートラルに情景を描いていることにより想像力をかき立たせる効果を生んでいる。「1台の車に家族5人」という状況は一見すると窮屈そうであるが良く考えるとそうでもない。人によっては幸せに見え、不幸せにも、滑稽にも見えるというこの情景は、現実に存在したものなのかすら分かりようがない。田舎道で迷ったあげく見つけたトンネルの壁にこんな句が書いてあったら、などと考えるとシュールである。 <総評> 審査というものは常に絶対ではありません。アクマデまわりとの比較の中で行われるものです。美大受験の際は「まわりより早く描きはじめるな、まわりの状況を見ながら描いていけ」と指導されたものです。当然、まわりが白い絵を描いていたら黒い絵が目立つし、まわりが地味な絵を描いていれば明るい絵が目立つからです。このように状況に応じて評価が変わる評価システムを相対評価と呼びます。 相対評価ではレヴェルの高い争いになるほど「じゃんけん」のようなぐるぐる状態に陥ります。それはグーはチョキより強く、パーはグーより強く、チョキはパーより強いという、つまり、全ての作品が勝つ可能性をあわせ持ってしまうという状態です。面倒臭くなってきたので結論をいうと、ネオ自由律ではこのぐるぐる状態が第一回目からいきなり作られていました。上には上がいるという感じが出ていて、レヴェルが高かったです。一見才能がないように見えた句さえも、こうして審査をするとなると厄介な存在に急浮上したりしなかったり…、といった感じで審査を非常に難航させました。最終的にはスタイルではなくそれを超越した付加価値、完成度がモノを言ったのではないかと思っております。 長くなりましたが、最後に、送って下さった皆さんに感謝しております。これからも理屈にとらわれる事のナイ自由な発想が生む奇跡を送り続けて下さい。楽しみにしています。(審査委員長) ──────────────────── >> 第1回ネオ自由律公募<アーカイブ> ・ ./.. ・ 天下泰平プロジェクトtop